アニメや漫画、ゲームなどの感想を、だらだらと。たまにSSも書いてます。
「まどかマギカ新編-叛逆の物語-」感想・2
2013年11月24日 (日) | 編集 |




2回目を鑑賞して、細かい部分も理解できたつもりなので、
改めて感想を書いてみようかな、と思いました。
初回鑑賞時の感想はこちら




とは言いつつも、
語りたいことはkanzo1984さんの
こちらの記事がほとんど言ってくれてるので、
特に語ることはないのですが。
同意です、としか、はい。

改めて語るとしたら、
まどかの「あの発言」について、かな。
記憶を失っているとはいえ、
「あのまどか」が、まどか本人である以上、
本心だと受け止めるしかないな、と思いました。
もちろん、まどかが神になろうと決意した、あのときとは、
まるで状況が違うから、
「あのまどか」と「かつてのまどか」を
同一視することは出来ないのですけども、
ただ、それでもやっぱり、
鹿目まどかという人間の、「根っこ」は一緒なんですよね。

経験が人を作る、と言えばそれまでですけど、
kanzo1984さんの言葉を借りれば、
「過分に重い知識を強制的にインストール」されるまでは、
まどかだって、怖いと感じていたのは確かなわけです。
それでも、どんなに怖くても、
知るべきこと、やるべきことさえ分かれば、
決意して実行できる、勇気を持っている。
だからこそ、まどかの「意志」は尊いんだよな、と
そんなことを考えたりしました。

まあ、そのことをほむらも理解できたからこそ、
だからこそ逆に、彼女は悪魔になろうと決意したんでしょうね。
あのとき、あなたは、ああいう決断をしたけれど、
でも本当のあなたは、あんなことしたくなかったはず。
だから私は、と。

このあたり、なんというか、
受け取り方の違いなんじゃないかなあ、と思ったりします。

「弱いけど、本当は勇気がある」のか、
「勇気があるけど、本当は弱い」のか。


どっちも正しいとは思うんですが、
後者の考え方、つまりほむらの解釈だと、
人間の「成長」を否定しているんですよね。
かつてのまどかが「決断」できたのは、
色んなことを経験して、成長したから。
しかし、人は経験によって成長する、という当たり前のことを、
ほむらは否定している、というか、拒絶している。
もちろん、あのときのまどかが、なぜあんな決断をしたのか、
はっきりとは分かってないっていうのはあるんでしょうけど、
同じ時を繰り返し続けてきたほむらが、
変化と成長を否定している
というのは、
割と重要なポイントかも。
物語のテーマ的に。

ほむら自身は、その方向性の是非はともかく、
様々な経験を経て、成長しているわけで、
人は成長するんだということを、分かっているはずなのに、
まどかの成長は受け入れられない。
「まどかはこういう人物」だという自分の理想を押し付けてる
というのは、あると思います。

もちろん、本当はまどかだってあんなことしたくなかったんだ、
だったら救わなきゃ、という気持ちだってあるし、
それでいて、ほむら自身のエゴや願望が入っていることも、また確かで、
そこに今作の味わい深さが凝縮されているんですよね。

自分の幸せと、まどかの幸せ。
その両方を叶えるためには、悪魔になるしかない。


ここ、上手く言葉に出来ないのが悔しいんですが、
心の真ん中の部分に、ぐわーっときたというか、
ものすごく、響いたんですよね。
端的に言えば、感動した。
超感動した。
とても素晴らしかった。



・気付いたこと

ほむら、まどか、マミの三人お茶会で、
ほむらがおかわりをお願いして、
マミさんがほむらの後ろを通りすぎるシーンで、
黄色いテープがちょろっと映ってるんですよね。
マミさんがほむらの足にテープを巻き付けたのは、
おそらくこの瞬間です。

まあ、これは気付く人は気付くだろうし、
どうということでもないんですが、
ちゃんと矛盾なく描いてるんだな、と
ちょっと感心しました。
細かい部分まで考えて作られてるなあ、と。



・ラストシーンについて

前回の感想では、
「エンディングだぞ、泣けよ」タグに似たノリ
だと書きましたが、
もっと適切な例に思い至りました。
「Fate」シリーズの、聖杯が叶える願いに似てるんですね。
「お前らはこういう結末を望んでいたのだろう?」と
言われているみたいで、
いや、そうだけど、そうじゃないんだ、と。

まどマギの視聴者で、
キュゥべえに対して殺意を覚えた方は、
たくさんいるでしょう。
だからこそ、あのラストはスカッとするわけです。
悪魔ほむらは、あのインキュベーターすらも超越したんだ、と。
フルボッコざまあ、と。

ただ、「キュゥべえの、ああいう姿は見たくなかった」と
逆にそう感じた方もいるはずです。
見たかったけど、見たくはなかった、と。
憎まれっ子にはそれ相応の制裁を受けて欲しい。
しかし、憎まれっ子は憎まれっ子のままでもいて欲しい。
そういった相反する気持ちを、キュゥべえに対して抱いていた方も、
多いと思います。

ここもまた例になるんですが、
「スクールデイズの、伊藤誠の最期を見たときに抱いた感情」
と似てるんじゃないかな、と思ったりしたり。
原作には触れたことがないので、
あくまでアニメ版の話になるんですけど、
誠って、真性のクズですよね。
「誠死ね」という言葉がどれだけ飛び交ったか分からないくらい、
当時はその話題で盛り上がっていたと思います。
でも、彼の最期を目にした視聴者の中には、
ある種の寂しさを覚えた方も、きっといることでしょう。
クズは死ぬべきだと思っていても、
クズがクズらしい扱いを受けると、
それはそれで同情してしまう。
その感覚に似てるんじゃないかな、と。

で、このあたりは多分、計算されて描かれていると思うんですよ。
ボロぞうきんのようになったキュゥべえの姿に、
同情を覚えてもらえるように、と。

だとするなら、続編はおそらく、
「逆襲のキュゥべえ」でしょうね。
あのキュゥべえが、あのまま黙っているわけがない。
なんらかの手はずを整えて、
悪魔ほむらを支配しようとするのではないか。
そうだ、それでこそ僕たち私たちのキュゥべえさんだ!
さあ、ほむらは、そしてまどかは、どう立ち向かうんだい?
と、そんなラストバトル。

正直、それ以外に続編の可能性が思い浮かばないんですよね。
キュゥべえ以上の力を持った、
全く別の存在が介入してくることも考えられるんですが、
でも、それって、神も悪魔も超越した、
もっともっと上の存在、ということなんですよ。
となると、メタ的な視点になるしかない。
すなわち、三次元世界からの介入。
つまりつまり、我々視聴者が、まどマギの世界に割り込んで、
どうにかするしかないんじゃないかな
、と。
でも、まどマギでそういう展開は見たくないしなあ。
プリキュアだったらありだと思うんですけどね。
「映画を見ているみんな、私たちに力を貸して!」みたいな。

いや、でも、一周回って、それはそれでありかもしれませんね。
まどマギのみんなに、
「私たちに力を貸して!」
って言われたら、そりゃあ、断れませんよ。
最後の最後はド直球な、視聴者参加型エンド。
まどマギだったらその結末も、逆にありかもしれない。


とまあ、色々語ってみたものの、
これはあくまで、続編があるとしたらの話です。
2回目鑑賞後も、やはり、
ここで終わるのがベストという結論には変わりがないですし。
とはいえ、この感情もある程度、時間が経って、
「続編やるよ!」ってなったら、また変わるかもしれないので、
何はともあれ、しばらくは間を空けて欲しいかな、と。


特に語ることはない、と言いながら、
まだまだ全然、語り足りてない気もするのですが、
ひとまずはここまで。
叛逆の物語、いい映画でした!
ありがとう、ありがとう!











madoka08.jpg

特典フィルムには、ほむらが映ってました。
びくとりー。


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